先日完成した「はつこひキッチン」を、撮影してもらった。
プロではなくアマチュアカメラマン・・・だけど、写真が趣味で、高校の時から[人物]を撮り続けていた友人にお願いした。最近は、花など[自然]も撮るようになって、それも素敵な写真である。
そんなこともあり、「今度は僕の[建築]も撮ってよ」と無理を言って頼んだ。
建築写真は勝手が分からないようで、最初はファインダーを覗く度に首を捻ったり、ブツブツ独言を言いながら撮っていたけれど、徐々にコツを掴んだようでカシャカシャ勝手にやっている。
写真にその経過がはっきり出ていて、時系列に見ると終盤にいく程良くなる。
学習能力の高さというのか・・・
という訳で、折角建築写真に慣れてきたのだから、「来年の夏の晴れた日にもう一回撮ってよ」、とお願いしてしまった。
お久しぶりです。
以前の記事に『アーティストの皆から使い方や運営について次々と意見が出て、はつこひキッチンに対する期待や要望が、そのまま建設的な議論につながっていった。自分たちの事は自分たちで決めていく自治組織の起源というか、直接民主制の源に立ち会ったような気がして感慨深かった。その昔、水田に引く水の管理をどうするか?それぞれの農民が寄合って方針を決めたように。』とありました。
私はこの話を、被災地の話と照らし合わせて考えていました。
例えば、被災地では、旦那さんの「新しい街を作りたい」という理想熱に、奥さんが追いつけず、離婚してしまうケースを、私はいくつか聞きました。当たり前のことですが、いくら正しいことであったとしても、私たちは、目の前に転がる現実というものに自発的な意思を振り向けることがどうしてもできないこともあるのだと思います。それが、人間関係の決裂にまで発展してしまうこともある。
そこで、安田先生にお聞きしたいのは、「はつこひキッチン」のケースのように、複数の人間の要望を聞く場合のコツなり、取りまとめのコツというものはあるのでしょうか。教えていただけないでしょうか、よろしくお願いします。
小野寺さん、ずいぶんご無沙汰ですね。
その後、お元気ですか?
お話にある「離婚」にまで至るのはちょっと大変ですね。でも想像に難くないです。
僕にも思い当たるふしがあるのですが、「これやろう!」という旗振り役がいれば、それを下支えする(時には泥を被る事も厭わない)人がいることで、このような話は上手く行くと思います。
例えば、「これやろう!」という人に人望が無いなど、ついて来る人が居ない場合には、おっしゃるような「離婚」という結末になってしまうでしょうね。
一般論ですが、だいたい旦那さんは威勢のいい事を言うけど、作業や苦労は奥さん任せという場合が多くて、結局愛想を尽かされてしまう・・・まあ大なり小なりどこの家庭でもありますが・・・
「はつこひキッチン」ですが、ここでは、コーディネーター(旗振り役)が居て、それは僕では無いです。
ちなみに僕も設計した責任上、運営委員会の一人に加わっていますが、主に黒子というか、下支えする側に回っています。
大きな組織の場合は解りませんが、我々のような小さな組織(集団)の場合、言い出しっぺがその下支えまですると、上手くいくのはないでしょうか?
あとは、その下支えも含めて、楽しめる事だと思います。作業に時間を取られたりして、負担はありますからね。
おはようございます。
私は「貧乏暇なし」という所ですが、相変わらずいろんな所に潜り込んで「ワーワー」やっています(昨日も、神田順先生、松本純一郎先生、三部さんの前で「ワーワー」やっていました)。しかし、七転八倒した分、自分なりの転び方といいますか、自分なりの歩き方といいますか、そういうものをつかんできたように思います。
さて、私の話は置きまして…男は黙って背中で見せるといいますか、やっぱり自分が楽しくやっていればついてくる人は誰かいるものだし、自分が楽しくやっていなければ誰もついてこないということなのでしょうか。
丁寧な回答ありがとうございました。はつひこキッチンの成功を祈りながら、この辺で失礼します。それでは。
七転八倒したおかげで転び方を覚えた・・っていいですね!
だとしたら、七転び八起き・・・だ。
僕も相変わらず、あえて「寒い地」に出ることで、風邪を引きまくっています。おかげで、最近は免疫力が高まったようですが。(笑)
お互いに、風邪を引くのが怖いからといって、ぬくぬくした場所に留まることのないようにこれからも行動していきましょう。