今の住戸は日当りが良くて気に入っていたのだけれど、今度引っ越す事になった。
不動産関係の友人から、こんな話を聞いた事がある。
賃貸物件は、[駅からの距離][住戸の広さ][家賃]で、殆ど決ってしまう。
つまり、その3点の条件が良いところから順に埋まって行く、との事だった。
確かに今回、ネット情報で引越先を絞り込む際にその3点(距離・広さ・家賃)は重要なパラメータだった。
ところが、現地確認を繰り返すうちに、なぜか徐々にマンション形式の住戸が選択肢から外れていった・・・・
[距離・広さ・家賃]の3点に答える為に、異常に進化したのが今の「タワーマンション」である。
結果、インテリアを充実させてはいるのだけれど、街との関わり・外部環境に対して消極的なマンションは多い。むしろ周辺との関係を「切る」事で、部屋を充実させているようにすら見える。
引越先は、周辺環境が良くて街の賑わいが感じられる低層住戸に絞られていった。
画;hiromichi yasuda
先生、お久しぶりです。
タワーマンションとは直接関係はありませんが、ホテルオークラ東京は一部を残し、高層化。
二・二六事件の舞台となった「九段会館」も高層化。
東京中央郵便局の建て替えから、モダニズム建築のモデファイはこのような流れになっているのでしょうか…
私はコルビジエの再評価を嬉しく思いつつ、そのベクトルとは逆にも思えるモダニズム建築の高層化には、あまり納得がいきません。なんといいますか、高層化された(元)モダニズム建築は、なんといいますか、正面から見るとタワーマンションなりタワービルそのものだなぁ、と感じてしまうからです。これなら、残す意味があったのかあぁ、と思ってしまうんです。
先生はどう思われますか。
そうですね、率直に言うとかっこわるいですね。(笑)
プレモダンの基壇の上にガラス張りの四角い超高層とかですね、形はお墓をでかくしたようでなんだかちょっとイマイチですね。
それから、もっと問題なのは容積を足して(高層化して)建替える手法ですね。
人口が増えて、ドンドン経済発展して行く途上国ではあり得る手法ですが、日本のように経済成長は右肩下がり、人口は減少していく国ではどうなんですかね。
以前、聞いた事がありますが、古いマンションは現状の容積のままだと建替え費用が工面出来ないそうなんです。分譲の場合、新たに事業にする為には、容積を増すことで利益を生み出す仕組みにしてやっとデベロッパーが事業参画する条件が整うんだそうです。
しかも、それは際限がない・・・40年〜50年後老朽化した時に、更に容積をアップしなければ立て替える事が出来ない。つまり、倍々ゲームを続けるか、もしくは老朽化したビルを使い続けるしかないという・・・当然経済の人は気が付いているはずですが、自分の世代ではそれで切り抜けられる、と思ってるんでしょうか。
ただでさえ空きビルが増えているのに、このままだと50年後はスラム化した超高層があちこちに生まれる事になる。
先生、おはようございます。
仙台でも、リノベーションで似たような話が最近ありました。
市が、仙台中心部に点在する老朽化(商業系)ビル対策として、リノベーション助成をしました。しかし、一年間、申請自体がまったくなく、助成話は立ち消えになりました。どうやら、ビルオーナーの「元手はとうに取れているから、いまさら…」という声が多かったそうです。このような要素も、先生のおっしゃるビルの二分化を助長しているのかもしれません。
先月、三部さんのインタビューをとりました。
詳しい話は言えませんが、都市計画家の三部さんから見て、震災で一番痛感したのは「大規模な都市計画経験者がいなかった」こと。にもかかわらず、あれだけ大規模な計画を動かさなければいけなかった。つまり「阪神淡路大震災の教訓が生かされなかった」どうこうではなく、マンパワーの問題で、都市計画経験者もなく、限られた時間で復興の予算を取るには、自治体はバブル期から眠っていた計画を掘り起こすか、大手ゼネコンに丸投げするしかなかった。
気仙沼、南三陸、石巻、山元、名取、東松島。どこに行っても、同じような区画配置と商業ビル、災害公営住宅が観察できます。このような光景を見ながら、私は三部さんの言葉を「なるほどなぁ」と実感しました。
正直な話を言えば、ここには「個」の建築家は中々太刀打ちできないでしょう。
これは、建築家に限った話ではなく、「個」で生きる自営業全般に通じる話で、アウトレットのように、たくさんの小売りが一つの箱に詰められるように、今の社会では「個」は何かしらのかたちで、組織に従属しなければならない。そうしないと生きていけない、という観念にとらわれているし、現実的にそういう側面がある。そして、「個」と「組織」の力関係は言うにおよばず…そうこうしている内に、アウトレットモール系の開発や六本木ヒルズ系の再開発しかされなくなり、「個」は「組織」に完全に吸い取られてしまう。
三部さんは「建築セクションから都市計画への条件闘争がなかった」とも言っていましたが、おそらく「個」の力では…どうしても、と。そして、最後に「なら、建築家がアーティストになるより、土木屋がアーティストやった方が面白いかもしれない」と三部さんは仰っていました(笑)
話のまとまりがなくなりましたが、最近私は、建築家どうこうよりも、自営業が活気づくような形なれば、建築家の攻め手も自然に増えるように考えています。先生はどう思いますか?
こんばんは、小野寺さん。
そうですか、三部さんは、そんな事をおっしゃっていましたか・・・
確かに、都市計画は、高度成長を終えたある時期から、日本の大学では徐々に部分的な対処療法的学問になってましたからね。。。
というのも、都市が拡大する時代には、ニュータウンなど更地に新たに作る為の理論が必用でしたけれど、出来てしまうと、それ以上の学問的興味は無くなっていって、既存の都市の局所的再開発(デベロッパー的な用地取得とその方法)などしかやることが無くなっていましたからね。
それから、僕の記憶では、70年代頃から、「計画学」への不信というんでしょうか、計画経済、計画学、など、人間が「計画」したものの限界ばかりが強調されていた気がします。
むしろ、無計画な計画(集落調査)や、リアルな資本主義が生み出す歪な形態(コールハース)を賛美したりして、「計画」に対して「自然」を対峙する計画不信の時代が長くありました。建築計画は終わったとか、都市計画は既にやる事がなくなって住民参加のまちづくり等でかろうじて存続していたと言うか・・
実際、都市計画の理論もその実験場が無かったら、都市計画者のモチベーションも上がりませんしね。
あと、都市計画とは関連づけて言われませんが、社会主義ソ連の崩壊も大きかった。マルキシズム(計画経済)に対する、個々人の欲望に委ねるキャピタリズム(資本主義経済)の勝利、も「計画」不信を象徴してたと思います。
「計画学」の影が薄くなっていた・・・そこにあの東日本大震災でしょ、都市計画は古い理論しか使えなかったんですね。更地に対処する新しい理論も人材もなかった。
僕はそのように思ってます。
「個」と「組織」については、また後日。
先生、おはようございます。
コメントを差し挟むのは迷惑と思いますが、補足を少しだけ。
とにかく、若手(といっても20~50代という現役世代のほとんど)が都市計画の実務がないような状態というのは厳しかったように思います。三部さんは、石巻の計画の取りまとめを(玉浦のアドバイザーも)されましたが、石巻の計画の立て方の難しさは言うにおよばず。
災害危険区域、防潮堤が計画の全体を支配しながら、石巻駅周辺、日和山から南浜方面(ここには門脇の遺構問題が絡みます)、そして、なによりリアス式地形が続く牡鹿と雄勝の計画は全くの別物です。
牡鹿と雄勝を回るとすぐにわかりますが、山中の道路周りの林にポツンポツンと1~10戸分の造成がされてあって、素人の私は「これは住めるの。これは計画どうこうじゃない」と言うような状況になっていました。
蛇足失礼しました。
「個」と「組織」に対する先生のコメントをお待ちしています。
小野寺さん、御返事遅くなりました。
「個」と「組織」については、今は「組織」が優位な時代ですね。おっしゃる通りだと思います。
昔の話になりますが、「組織の歯車になりたくない」とか言って、学生が企業に就職するのをためらった時代は遠い昔、殆ど死語となってますね。今の学生は、リクルートスーツを着て、就職面接が大学受験の次に大きなイベントになっています。就職面接問答のセミナーまであるみたいで、就活産業がそこまで手を出しているようです。
ただ、こんな時代は決して長くは続かないと思いますが・・・というのは、「組織」は資金力と開発力をもっていますが、[それ以上]に社会が大きく変わる時代ですから。
好調な企業も、10年経ったらどうなるか解りません・・・とりあえず、定年間際の世代は逃げ切れると思いますが、大企業に就職した今の20代が、あと50年を問題なく過ごせるとは思えないのですが。
そのあたり、小野寺さんはどう思いますか?
先生、おはようございます。
私は「個」という生き方を選びました。
ですから、なぜ、「個」の生き方を選んだかという視点から、私は先生の問いかけにお答えします。
まず、はっきり申し上げれば、私は先生と同じような感覚を抱いています。
最近の私は、古典に分類されるような哲学書(スピノザ、アダム・スミス、アラン、オルテガ、ショーペンハウアー、ボードリヤールなど)を読みあさっていますが、彼らが素描する歴史と現代を比較した時、私はふとこんなことを思いました。
「現在の日本は一億総中流時代を理想とすることが、暗黙の了解となっている。しかし、歴史を振り返れば、一億総中流時代こそが得意な現象であり、現代の様相の方がよほど歴史の定常状態に近づいているのではないだろうか。みんながみんな、豊かな時代の方がおかしかったのではないか」
私は格差を肯定しているわけではありません。
ただし、企業に就職し、定年まで働き、幾ばくかの退職金と年金によって余生を過ごすという、現代では当たり前の人生設計が、私は幻想のように思うのです。
私たちの世代は、まともに年金はもらえないでしょう(笑)
企業も10年はおろか、5年という短期ビジョンも描けないのが現状です。
しかし、生活の安定性という要素とは関係なしに、定年60歳と仮定した場合、平均寿命との差額を計算すると、20年以上は「個」として生きなければいけません。現代医学の発達は、個人に「個」として長期間生き続けることを強制するようになったと言えるかもしれません。また、老後のために、いくらお金をためても、老後で謳歌する悠々自適な生活など、三ヵ月で飽きてしまうでしょう。
だから、私は少なくとも80まで働きたい。
そう思って、私は「個」の道を選びました。私の性というものもありますし、自分で取れる道が少なくて、今の道を選んだということもありますが、「私がどこでどう生きるか」という「個」としてのあり方が、この先の時代ではより重要になると考えています。
私はここに「個」としてのあり方を探り続けた先達の建築家たちを重ねてみています。そして、今までも散々建築界のお題目として叫ばれてきたリージョナリズム、おそらくこの言葉はこれからも叫ばれ続けるでしょうが、先の問いかけを土台にしてはじめて成り立つのだろうと私は思うのです。その先々に、組織が控える。
現在の私の「個」と「組織」に対する思考はこのようなものです。