心地よい一日  2026/03/19

ラトゥーレット修道院

小林秀雄(※1)は昔から愛読しているけど、こんな一説がある。

「凡そものが解るといふ程不思議な事実はない。解るといふ事には無数の階段があるのである。人生が退屈だとはボードレールもいふし、会社員も言ふのである。」

今回、ラトゥーレット修道院を見るのは2度目となる。前回に比べて、少しだけその階段を登ったことは確かだけれど、どれだけ「解った」かは怪しいものである。
来訪する度に、お前の鑑識眼はどの程度だ?と問われているような気がする。

ラトゥーレット修道院を初めて見たのは23歳の時。その時は、目まぐるしく変わる内部の動線に圧倒され、空間ボリュームの大小(個室がとても狭い・教会がでかい)による効果、インテリアの素材が荒々しかったり平滑だったりして触覚的なリアリティとその効果に、訳もわからず感動したのを覚えている。

今回の見学は2回目となる。内部のダイナミズムに加えて、修道院へのアプローチの見え方とその効果、建物全体の立体構成(寝室、自習室、娯楽室、食堂、図書室、教会)の妙、それを示す外観。
教会の静寂と光の戯れ。

それに加えて、世俗的な部分でのデザイン処理の妙(汚れに対するグラフィック処理や換気窓、窓のフレーミング、設備配管のユーモアセンス、など、)
コルビュジエさん、そんな俗っぽいことまで考えてましたか!という、感じ。

手垢処理から建物配置まで、形而下(※2)から形而上(※3)まで、水準やカテゴリーを超えて、あらゆる位相での関心の高さとその工夫に、ただただ感心した。

だけど、こうして言葉にしてみるとどうも焦点が定まらない、というか、コルビュジエには「お前は一体何を見てきたんだ!」と言われそうな気がする。

最初に見た23歳の僕は、小林の言う「会社員」どころか、文字通り「学生」。それが今回はやっと「会社員」になったか。

ボードレールになるのは、まだまだ先である。・・・やれやれ。

ラトゥーレットはそんなことを思わせる建物である。

小林秀雄(※1)
昭和時代に活躍した日本の文芸評論家で、近代批評の基礎を築いた「知の巨人」と称される人物。
形而下(※2)
感性的経験で知り得るもの。時間・空間の中に形をとって現れるもの。
形而上(※3)
感性的経験では知り得ないもの。有形の現象の世界の奥にある、究極的なもの。

 

明け方の風景。コーリン・ロウはこちら(北西)からのアプローチについて長いエッセイを書いている。後藤武さんには、こちらからアプローチせよと教えられた。

南面。ラトゥーレットの構成をよく示している。

玄関を抜けるとピロティになっていて、中庭を臨む構成。一息いれたくなる椅子。

リズムを持った方立。クセナキスによる。

玄関扉。赤の原色。取手付近の黒く縁取ったデザインは、手垢汚れに対する着色。

鈴木信弘さんの目の高さにあった回廊の明かり取り窓(左)。視線の先を隠す窓(中央)。

床に見える黒い影(デザイン)は、上部のローソクのロウが落ちた時の対処。

ネオン管による細い照明器具。奥の赤い扉は、換気窓。

階段足元を照らす照明器具。真っ暗な夜中は、これがあって本当に助かった。

教会に入る回転扉。直角に開いたときに、十字架となる。

静寂な教会内部。上部トップライトは正面パイプオルガンを照らし、サイドの横長窓は聖書を読む参列者の手元を照らす。

 

赤と白と黄色のトップライトは、地下の小祭壇を照らす。

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