フランス語の「nécessaire」ネセセール(英語のnecessary)には、必要と必然的、という意味がある。
必要と必然的、勿論、日本語では違った意味である。
雨が降っているから今日は傘が必要だな〜、とか、つまり必要は求められているモノやコトで、無くてもなんとかなる。
ところが必然的、となると、例えば、人間の生に限りがあるのは必然的、みたいに、法則や道理、避けようがない決定的なイメージがある。
日本語に対し、ラテン語の「necessarius」を語源にもつ西欧の世界では、必要と必然的は同じこととなる。
レマン湖の水は透明感があって、背後に聳えるアルプスの山々が織りなす対比がとても綺麗だった。その水辺に、このヴィラ・ル・ラク(レマン湖畔の小さな家)は、建っていた。
元々はコルビュジエの両親のために建てたもので、101歳で他界するまで、お母さんはそこに住み続けたと言う。
今回初めてインテリアを見させていただいて、いろいろな工夫があって、とても感心した。
・母親がピアノを弾く場所に増設された跳ね出し式の手元灯、・壁に絵を飾るためのハンガーレール、・ラジエーターとそれを繋ぐ剥き出しの配管、・折りたたみ式の間仕切りとそれを露わにしたシステム、・洗面台扉の裏に設置された鏡、・玄関脇の小窓、・いつまでも座っていたい屋内外の窓とテーブルと椅子、ほんの一例だけど、他にもあらゆるものが、生活を豊かにするためにデザインされている。必要なものが必要な場所にさらっとデザインされている。ミニマリストなら(そうでなくても)壁内に隠蔽してしまうだろう配管・配線は露出しても、気にならないようにデザインされている。
一貫して言えるのは、生活のためのデザイン をしている。
(デザインのためのデザインではなくて)
つまり、デザインの必然性は、生活の必要から導いている。
嘘偽りのないデザインで設計し、それが母親にとっての終の住まいとなったこの家は、彼女にとって、さぞや心地よい家だっただろう。
レマン湖畔の小さな家は、今回の旅でも最も感慨深いものの一つでした。




リビングにある洗面手洗い。その扉の裏に設置した鏡。通常は扉でさりげなく隠す。