心地よい一日  2017/01/29

ちょっと逆のことをやっちゃおっか。

このごろ、普通に考えることと「逆のこと」やっちゃおっか?と考える事が多々ある。仕事で。

価値観が変化しているこんな時代は、形骸化した価値観で仕事をしていても決して未来に役立つ仕事にはならない、という事だけは判ってて、それが理由。

ただ、何でもかんでも反対のことやっちゃうと、事と次第によっては大変なことになるから、しないけど。

と言う訳で、ちょっとやんちゃな自我が顔を出す今日このごろ。

画:hiromichi yasuda

3 thoughts on “ちょっと逆のことをやっちゃおっか。

  1. 安田先生、こんにちは。
    先日の返信も含めて、ここでコメントさせていただきます。

    社会学者の宮台真司は「正しいだけじゃだめだよ。楽しい、そして正しい、という形がベストだよ」とよく言っていますが、安田先生のはつこひ関連のおはなしを聞いていると、そのことをよく実感しています。

    最近、東北の被災地では震災デジタルアーカイブの研究が話題になっていますが、その中でもハーバードが中心となった参加型アーカイブの研究が注目されています。参加型アーカイブは、一般の人がアーカイブのデータにコメントを残すことでアーカイブの独自性と多様性を出していくというものなんですが、今の参加型アーカイブの研究はアカデミックの視点ばかりが重視されています。つまり、アーカイブのツール開発ばかりで、どうすれば一般の人が参加してくれるかどうかの視点がすっぽり抜けていました。参加型アーカイブは書き込まないとはじまらないのに、書き込むための「最初の一歩」の視点が丸々なかったんですね。
    私がそこを指摘すると、アカデミックの方々は完全に沈黙してしまいました。かなりの経歴の方々が並んでいたのですが、どうやらそういうことを考えたこともなかったようでした。応答すらままならなかったので、そういう質問を受けたことすらなかったようです。

    こういう光景を見ると「楽しい、そして、正しい」という宮台氏の言葉をしみじみと感じてしまいます。

    1. 小野寺さんこんばんは。
      宮台さんの言っていることは、その通りですね。
      勿論、はつこひキッチンは、「正しく」もありますよ。
      人様に後ろ指を刺されるようなことはしてませんから。(笑)

      そちら東北では、デジタルアーカイブというのが話題になっているのですか。
      初めて聞きましたが、そこでの「アカデミックな視点」が、小野寺さんの言う「正しい」ということでしょうか。
      まだ、ちょっとよく解ってないのですが、一般の人々が参加するデジタルアーカイブは、主にどんな内容なんでしょうか?
      アカデミックの人たちが目論んで、具体的に残したいと思っている内容のことです。
      恐らく、彼らは残したい内容をイメージしてると思うのですが、それが一般の人にあまり浸透していないから、上手くいっていない・・・ということが問題なのでしょうかね。

      ちなみに、僕も大学で教えているのでアカデミーの一員ですが(苦笑)、ただ、確かに大学キャンパスは独特な空間です。吉本隆明に倣って言う訳ではありませんが、その中にいるとそれはそれで充足した世界で安定しています。勿論、キャンパスの外で起きていることに意識的な人たちが沢山いるのでそのような人々が大学を活性化させているのですが、少し油断するとキャンパス中での思考が「現実」と考えてしまうので注意しないといけないですね。自戒を込めて。

  2. 安田先生、こんばんは。

    説明が不足していました。汗
    そうですね、震災デジタルアーカイブは、誰でも扱える、グーグルのような検索エンジンの一種と捉えて問題ありません。ただし、グーグルなどの検索エンジンとは違って、現在アドレスが消えているホームページのデータをあらかじめ保存しておいて、リアルタイムでは見られないはずのデータを見られる点が異なっています(例えば、今ではアドレスが消えてしまった「原発事故の調査委員会の報告結果」をこのアーカイブでは見ることができる)。このタイプの震災デジタルアーカイブの例としては、「ひなぎく」や「FNAA」などが挙げられます。そして、その一歩進んだアーカイブに、参加型アーカイブというものがあります。どういうものかといえば、一般の人が震災関連の画像、書類、またはユーザー個人の震災に関する証言・物語をアップデートしていって、独自性と多様性をもったアーカイブを多くの人の手で作り上げていこうというものです。この代表例が、ハーバードが研究開発している「日本災害DIGITALアーカイブ (JDA)」になります。

    ただし、現時点では、どのアーカイブもアカデミック的な「正しさ」に偏っています。色々な問題点が挙げられますが、ここではアーカイブの「使いやすさ」という部分に焦点をあてます。誰でも扱えるためには、やはり「使いやすさ」という要素を忘れてはいけません。
    今の震災デジタルアーカイブのあり方を見ると、使いやすさなんてお構いなしで、アーカイブ量が豊富であればみんな使うし、プレゼン栄えするようなツールつくってアーカイブ専用の検索エンジンに機能をどんどん付加させればみんなが使うと、研究者は思い込んでいるんですね。情報が豊富であっても、いい情報にいち早くありつけるとは限らない(むしろ、逆)。アーカイブに色々な機能を付加するということは、その使用に独特なテクニックを必要としてしまう。アカデミック的な「正しさ」だけで研究を推し進めると、アーカイブの使用門戸が高くなっていくということに、アーカイブがどんどん使いにくいものになることに、研究者の目が向いていなかった。

    基礎研究なら、また、研究者専用の検索エンジンを開発しているのならその姿勢でも構わないのですが、震災デジタルアーカイブの研究者は一般人向けの開発を標榜し「一般の方、どんどんアーカイブにどんどん参加してください」と言っているにもかかわらず、アカデミック的な「正しさ」ばかりに気が向いているんですね。外面と中身があまりにもチグハグ。これじゃあ、参加型アーカイブに参加しようとする人間がまずいないだろうということです。ちなみに先ほど例に挙げた「日本災害DIGITALアーカイブ (JDA)」の一般人ヘビーユーザーは「2~3人」だそうです。あとのユーザーは、ハーバード大学と東北大学の研究生だけ…うーん、ずっこけです。アーカイブがいつまでたっても出来上がりません!

    おそらく、このような研究の進め方をしないと、研究費が取れないというのが実情なんでしょうが…JDAに到っては世界中の秀才が集まったハーバードの研究なのに~、という思いが沸々と湧いてきます。『はつこひキッチン』のように、「正しい」の前に「楽しい」がないと誰も参加しません!ということを、私は参加型デジタルアーカイブの研究を見ながら思った次第です。

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