心地よい一日  2017/01/24

はつこひトーク 10年後のまちに向けて

はつこひトークというワークショップに参加した。

「はつこひ」とは、初音町・黄金町・日ノ出町、の頭文字をとったもの。
〜10年後のまちに向けてできることを考えよう!〜 という訳で、「初・黄・日」それぞれの町内会の人、滞在アーティスト、NPOの人々、横浜のお役人さん、子供達などが集まって、今後の街づくりワークショップを行った。

いいな・・と思ったのは、地元小学校(東小)の6年生が参加していたこと。

子供自身が将来の街づくりを考えるという意義もあるけれど、子供の参加で大人が優しくなるというか雰囲気が和やかになって、それが街づくりの議論に影響すること。

黄金町では「NPO」という優れたファシリテーターの存在が大きいけれど、こんなワークショップなら、何度参加しても良いと思った。

画:hiromichi yasuda

2 thoughts on “はつこひトーク 10年後のまちに向けて

  1. 安田先生、こんばんは

    子供の目、というので被災地で面白い話題がありました。被災地のある小学校の校長先生が講演会でおっしゃっていたんですが、その校長先生はスライドを見せながら「震災直後は避難所は大変だったんですよ、でもね、避難所は敷居がない分、子供の目があって和気藹々としてました。でもね…行政の手が入ると」と言って、ある写真を見せました。その写真は、坂茂のカーテンレールで避難所にプライベート空間を作る援助のものでした。その校長先生はその写真を指し示しながら「こういう風にね、行政の手が入って、プライベート空間を作って、子供の目が届かない状態になると、みんなみんな我が侭になって、行政に文句をたんまりいいんだすんですよ」と言っていました。つまり、県主催のかなり大きなシンポジウムで、坂先生がボッコボッコにされていたんです。

    これは、デザイン系建築家に必ずしもいい思いばかりを持っていない私でも「あぁ、坂先生の活動もこういう受け取られ方をするのか」とかなりショッキングな出来事でした。正直な話、震災直後のサバイバル状態からはなれ被災者にも余裕が出てきて行政に要望を出すようになった時期と坂茂氏の援助の時期が重なったと見るべきなんですが、私はそういう言葉では片付けてはいけない何かを感じました。明るい話題にこういうフリは本当はいけないかもしれませんが、こういう光景を見せ付けられると、あぁ、言葉の説得力というのは、なにも理論の正しさや法的裏づけばかりではないんだなと思ってしまいます。

    はつこひトークのお話とか聞きますと、私はもう、国会で大事なことを決めるときは、小学生1年生、2年生を入れちゃったほうがいいんじゃないとか思っちゃいます。子供の目があると、野党も与党もバカのことできませんからね(笑)

    1. 昔こんな話を聞いたことがあります。
      例えばあのような大震災があって、まずは非難→避難所生活(体育館など)→仮設住宅(プレファブ)→本設の住宅、と、時間経過と共に被災者も徐々に日常生活に戻るわけですが、その一連の流れの中に、人類の精神史が圧縮したように現れると。
      どういうことかと言うと、非難→避難所生活では、人知を超えた力とそれに対する畏怖、と、生きるための人々の協力、助け合いの扶助の精神が生まれる。ところが、仮設住宅→本設の住宅と、徐々に現代の日常を回復しはじめると、人々のエゴ、クレームや不満等、近現代社会が持っている負の一面が表れ始める、という話です。
      勿論、その過程でモノや物質的環境は飛躍的に良くなるのですが。

      最近、小林秀雄(文芸批評家)さんの歴史観を聞いたことがあるのですが、そこで小林さんは、現代が決して「(精神的な意味で)良い時代」ではなくて、むしろ古代に私達が理想とする時代があった、と言っていたそうです。
      その古代がいつなのか判らないのですが、資本主義が始まるずっと以前の、富の蓄積が始まるもっと前の、小さな集団で人々が平等に食事を分け合っていた時代ではないかな?と腑に落ちたことがありました。勿論、そんな時代があったかどうか判らないのですが、震災直後の人々の変化を見ていると、なんかそんな時代があったかもしれないと思えて来ます。
      子供、というのは、大人をそのような古代の心に戻すなんらかの力があるのかもしれませんね。

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